海ときどき山、ところによりキャンプ

オヤジの緩いアウトドアライフ

山行記(4) 海はどうした?・・・山履歴

 「海ときどき山~」というブログでありながら、ここのところすっかり「山ときどき海~」になってしまっています。海はどうした・・・!? 

でも今回も山についてです。

 山履歴といってもたいしたことはありません。富士山こそ10年以上登り続けていますし、今年は6月から毎月金峰山テント泊、富士登山大菩薩嶺テント泊と続いていますが、あちこちの山に行き始めたのは2020年から、新型コロナの流行がきっかけです。船釣りにもキャンプにも行きたいし、たまには家族サービスもしなくてはならないので山行回数が多い訳でもなく、体力も普通で日頃トレーニングをしている訳でもない初老のおじさんでただ「好き」というだけですが、新しい山行に加え過去の山行記録もUPしていきたいと思います。・・・山に登ってみたいけれど大丈夫かな?・・・こんなアプローチと楽しみ方もあります。

 富士山には10回以上登っています。あの槍ヶ岳にも登ったことがありますが大学や社会人の山岳会、サークルなどに入っていたことはありません。槍ヶ岳と富士山の間には40年の空白期間があります。

槍ヶ岳は50年前の小学5年の夏休みに槍ヶ岳に、その翌年には燕岳にアウトドア好きの親戚の家族に一緒に連れて行ってもらいましたが、それからしばらくは「登山」とは縁がありませんでした。富士山は静岡県民あるあるで、その気になればいつでも登れるからと過ごしてきてふと気が付いたら50才、今のうちに一度登っておかないとそのまま登れずに人生終ってしまうかも・・・と思い立って家族で連れ立って初めて登りました。

 槍ヶ岳上高地でテント泊、槍沢ロッジ、槍ヶ岳山荘と泊まり継いで登った記憶があります。天気は今一つでしたが槍の上に立った高揚感と景色は強く記憶に残っています。初めての富士登山は家族と御来光目当てのいわゆる弾丸登山。いろいろと下調べ、準備したつもりでしたが実際に登ってみると勝手もぺースもわからず、山頂ではどこから日が出るのかもわからないまま寒さに震えながらその時を待ちました。下山は無謀にも御殿場ルートを選び、先が見えずいつ五合目にたどり着くのかもわからない深い霧の中を延々と足首まで砂に埋もれながら降りました。御来光は雲の隙間から僅かに覗いただけ、疲れた家族にブーブー文句も言われましたが達成感や爽快感も大きく、以降自分の体力確認も兼ねて毎年一人で富士山に登り続けています(妻は2度と日帰り登山はしないと、誘っても頑なに断られます)。

富士登山を続けるうちに槍ヶ岳のことなども思い出しつつ他の山にも登ってみたい、テント泊登山もしたいと思うようになっていましたが、思うだけで低山のハイキングレベルに止まっていました(低山の軽ハイクなら誘えば妻も行きます)。

富士山以外の山にも登るようになったのは60才になった2020年、新型コロナの感染拡大で富士山が閉山したからです。富士山がダメなら他の山に登ってみたら?という妻の声もあり、これをきっかけに他の山にも登り始めました。7月の初めの南アルプスの北の端、鳳凰三山地蔵岳が最初です。地蔵岳を選んだのは中央道から見える特徴的なピーク(オベリスク)で見知っていたこと、富士山以外の山域でも休業する山小屋が多い中鳳凰小屋は人数制限しながら営業していたこと、静岡から近く無理なく余裕がある日程を組め、ソロで登るためルートがはっきりしていて登山者も多い山だったからです。

2回目は8月末、密かに買い揃えてあったテント、シュラフとともに大河原峠-双子池のテント場-北横岳ピストンの北八ヶ岳テント泊デビューをしました。

以降山を楽しむことを目的に、事故を起こさないことをモットーに、富士山を含め年2~4回ソロで山行するようになりました。今は、頑張れば登山口から日帰りできる展望の良い山を、登山口や登山口から2~3時間以内に行ける途中のテント場でテント泊をして1泊2日でゆっくり楽しむ登山、少しハードルの高い山は小屋泊まりで楽しむ登山をしています。いずれは名山の山頂や稜線にテントを担ぎ上げるテント泊登山や小屋を泊まり継ぐ縦走にもチャレンジしたいですね。